今回は、Fossetta Barba(フォセッタバルバ)の岡野克俊さんをお迎えしました。
岡野さんと初めて会ったのは、豊橋公園で行われた第1回キャンドルナイトの時ということで。
僕もメルシーズとしてブースを出していた。その時に岡野さんもブースを出していて、今まで見たこともないような個性あるSHOESが沢山あり、また何よりも岡野さんが非常に個性的な方だ、という印象でした。今日は色々とお話を伺おうと思います。

以下 (N)メルシーズ 中田 (O)岡野さん
(N)そもそも、まず、なぜ靴を作ろうと思ったのですか、またそれはいつ頃からの事ですか?

(O)そうですねえ、元々、靴好きという事もあったんですけど、物を創る(作る、造る)事が好きだったので。最初は色と、、、彫金とかやってたんですけど、でも、靴の製作を教えてくれる所があったので、、。はじめは、別の仕事をしながらでしたが、だんだんと仕事としてできるようになったので。

(N)それは何歳ぐらいからですか?

(O)2000年の10月から始めたので、31、32ぐらいですかね。

(N)31.32ぐらいから靴作りですか?そうすると、遅くから靴に関わり始めたのですね、20代というわけではなかったんですね。

(O)そうですね、靴作りに関しては遅かったですね。

(N)それまで、靴を作りたいと思ったことはなかったのですか?

(O)そうですねぇ。まず、靴が作れるっていうのが、ないじゃないですか。普通の暮らしをしていたら靴を作るっていう行為が出来るという事が。ただ、ある時、たまたま、靴が作れないかなって思って、、ホントのたまたま。教えてくれる所がないかなと思ったら、教えてくれる所があったので、即電話して。

(N)なぜ、靴が思い浮かんだのかね、それこそ彫金とか色々やってきた中で、靴が出てきたのは、何かきっかけがあったの?

(O)きっかけは何だろう?

(N)昔、革が好きとか云ってなかった?

(O)革も好きで、レザークラフトとかも習ったりしてたけども、、。でもレザークラフトとか彫金とかいっぱいいろんな人がいるので、、。ただその中でも、靴って特殊じゃないですか。ホントに、たまたま靴が作れたらいいなと思って、、ホントに、ぱっと思って。1日2日で探したんですよね、靴作りを教えてくれる所はどこだろう?って。本屋へ行って“ケイコとマナブ”を開いたらそこが載ってたんですよ。で、その日のうちに電話したんですよ。

(N)その時、今の状況、今の、お店を持って、生活している状況っていうのは、想像していましたか?

(O)想像はしていなかったですね。けど、何かできるんではないか、どんなカタチにしても、、。仕事にしていく、という希望より、仕事にしていくんだという。

(N)それは、強いものがあるね、まだ何もカタチになっていない中でも、強い意志があったんですね。

(O)そうですね、いろいろと、まぁ、手仕事というか、やってきた中で、こういう靴作りでもやっていけるし、レザークラフトでも多分やっていけるなあっていうのがあったので、、。だったら靴作りでもやっていけるなあっていうのはありましたね。それに、そんなに、何ていうのか、僕の夢なんですよっていう感じでもなかったですね。

(N)現実問題として、自分の手先を使って何かを生み出していけば、仕事として成り立っていくと思ってたんだ、はじめの段階から。

(O)そうですね、色々なモノを作ってきて、あー作れるんだっと思ってて。結局色々作れるから、器用貧乏っていう感じだったんですよね。何を作っても作れるけど仕事としては成り立っていないという、、。だけど、靴の場合、ある程度作れるようになれば、仕事として成り立つと思い、、。教えてもらっている時も、他の人は、“靴を作る”という行為だけに一所懸命なんだけど、僕は、靴を作る工程を覚えたいんですよ。例えば、何でこういう所を5ミリ足すのか、とか、、。そういう事さえ把握すれば後は自分で考えながら作れるので、、。完全に、仕事をする、仕事にするつもりで、教えてもらう、、というか。

(N)はじめはね、自宅の一室をアトリエとして靴を作ってたじゃないですか。自宅の一室で黙々と作ってたあの時のあの時間はとても大切だったと思います。自宅で作ってたのは何年ぐらいですか?

(O)習っている時を入れれば10年ぐらいかな。仕事として靴だけでやるようになってから7年ぐらいですかね。

(N)今は自分のお店を持たれてますが、自宅のアトリエでの製作期間、というのは、今になってどういう風にとらえてますか?

(O)なんだろう、仕事としてのスタイルが違う、って云う感じですかね。あのままでも、売り方を変えればやっていけるし。家賃もかからないしコストもかからないので、、。ネットで売るなり、セレクトショップに置いてもらうなり。作る工程だけできていればいいという、、。今みたいにお店を持つと、不特定多数の人が来てくれるという、外からも来てくれる。自宅で作っていると、こっちから打ち出して置いてくれませんか売ってくれませんか、とアピールしていかないといけないけども、それが逆になるというか。売り方が違えば、そっちでも良いかなとも思っていたが、たまたま運よくお店を持てたので、、。

(N)随分悩んでいたじゃないですか、お店を持つかどうしようか。結果としてお店を持ってもうすぐ2年ですか。自分のお店を持つ、ということに関してはどんな感じですか?また決断できたのはなぜでしょう?

(O)そうですね、お店を持つということに関しては、色々と厳しい面もあるけど、、。やっぱり良かったですよね、自分の表現するものが作れて即お店に展示できて、買ってくれる人がいるというか、、反応してくれる人がいるというか。今まではきっと倉庫に眠ってしまうものも展示しておけば、お客様の目に触れるというか、、。そういうことは良かったですね。決断できたのは、何ていうのか、すごく迷ったんですけど実際は、迷う時間が短かったですよね、前のオーナーから引き継いだ感じなので、それこそ2週間ぐらいで決めないといけないという事だったので、、。前々からお店は持ちたいと思っていたけども、2週間で決めるというのは、大変でしたね。

(N)お店を持つということは、その空間で人との交流が生まれて、この2年間でも面白い出会いや素敵な交流があったのではないですか?

(O)そうですね、色々と増えましたね。お客様も来てくれるようになったし、遠くからも来てくれる人もいたり、名古屋、岡崎とか。この前は四日市からとか。四日市の方はたまたまだったのですが、、。豊橋に遊びに来て通りかかったら、オーダーの靴屋があるということで、、。注文していってくれたので、、。そういう偶然もおもしろいですね。

(N)話を変えます。靴を作っている間、どんなことを考えていますか?

(O)んー、次の工程ですよね。次、どうしていくのか、、。そして、出来る限り丁寧に作ろうと考えていますね。自分の親方からすると、もう少し手を抜かないと体を壊してしまうぞと云われますが(笑)でもやっぱり、どこかで100パーセントで作っていないと失敗したときに、それでは成長にならないと思ってて、、。100パーセントで作って失敗したならその失敗が、僕にとってはプラスなので、、。どこかで手を抜いてここら辺でいいや、妥協して作ったり、70パーセントぐらいで作ったりしたら、結局自分が成長できない。まだまだ勉強だと思って、、。出来る限り精一杯作っていきたいです。

(N)岡野さんは先ほどからお伝えしている様に、何でも作れる方で、、。メルシーズの3号店:books&postcards の中でも色々と作ってもらいました。まず、木で製作したジャンル別の木枠のプレート、印字もカッコよく。あと本棚下の目隠しとなるレザーカバーも作ってもらいました、これもカッコよく、、。まあ、基本は、靴、だと思いますが、今後は他にも仕事の幅を広げていきますか、どうですか?

(O)そうですね、自分としては、色々な事をやりたいですね。以前やらせていただいた美容院の内装のお仕事とかも、、今思い出したのですが。

(N)僕の知り合いで、名古屋の若い美容師さんの物件でしたが、あれは無茶ぶりでしたね(笑)

(O)そうですね、期間も短かったし、靴屋に内装を頼むっていうのも無茶ぶりだし、、でもなかなか面白い経験で、、。靴以外でも何かデザインとかさせていただければ、出来る範囲でやりたいですよね。洋服でもいいし、内装でも家具でも。

(N)基本、岡野さん、何でも作れますものね。

(O)創造(想像)できるものだったら、チャレンジしてやりたいですよね。基本はもちろん靴、ですけど、、もちろん靴のオーダーも沢山入っていますし。靴屋なんだけど、それこそバックから始まって、婦人用の長財布、システム手帳、携帯ケースなどなど。作ったこともないけどできない事もないなと思うと、引き受けてしまい、、まあ、お客様も喜んでいただき、、色々作りますよね(笑)

(N)作る(造る、創る)、ということに関しては昔から好きだったんですか?

(O)昔から、家には、それこそ他の家にあるような超合金とかのおもちゃなど、完成したものをあまり買ってもらえなかったので、、。家には粘土とかブロックとか、そういうものが多かったのでそれを組み立てて遊ぶのが好きというか、まあ、そういう遊びしかなかったので、、。その頃から、創造する事の素地はあったんでしょうね、育ってきた環境が、、。プラモデルも好きで、一旦は作るけどそれから崩壊していくんですよね。改造というか、違うカタチになって、違う遊びとして、という、、。結局、原型をとどめていないという。小さい頃から色々考えて、自分の創造(想像)の中で作りだしていく、という事が基本的にあるのかもしれないですね、それが今に繋がってるんでしょうね。

(N)今、僕らは40代となって、今の岡野さんから20代30代の方をみてどういう印象でしょうか、何か思う所はありますか?

(O)そうですね、靴を習っている人も若い子がいるし、こうしてお店をやってると他のジャンルの人、、ファッションとか、それこそ芸大出て商品開発してる子とか、色々と僕の所に訊きに来たりするのだけども、、、。

(N)どんな事を訊かれるのですか?

(O)まず自分の作品を見て欲しいと、、こういう事をやっているんですと。この作品を使ったもので、例えばパソコン上で作ったテキスタイルの図案とか、それを靴にして欲しいとか云われる。まだ、、やっぱり若いせいなのか、リアルじゃないですよね。モノを作って売る、ということは、実際に“モノ”がないと、こちらもどうしようもない。パソコン上で見せられてもこれでは話もできないし、、。今だとパソコンなんて発達しているから、これぐらいの模様は技術があればできるから、、。そういうものを商品にして、、いいなって価値があってこそ商品として存在するわけで、、。画像だけ見せられても全く意味がない。画像はきれいだと思うけど、それとこれとは別だと。この素材では靴は作れないと。
あと、、こんな方もいた、海外で見本市があるので、私の考えた靴を作ってほしい、と。そういう話を持ってきた方もいました。期間が短く一ヶ月で作ってほしいと。現実の話、それは無理ですよ。もちろん作れないことはないですよ。作る行為だけだったら一ヶ月あればできるけど、君が思っているクオリティーやセンスを、世界に発信する前に一ヶ月でいいのかって話ですよね、自分のデザインが。やっぱりコミュニケーションをしっかり取ってできるできないを考えて、出来上がったものが、いいな、と思うものを、、これなら世界に通用するっていうものを。それができたら世界に発信していこうと思わないといけないのに、一ヶ月はないいだろうと、思うんだけど、、。そういうところが、なんていうか甘いと思う。やっぱりリアルではない。どこかバーチャルなところがある。あと、安易ですよね。若さゆえの、経験がない故の安易さなのだと思うけど、、。ちょっとやれば、それこそ靴作りを習って、これ、靴習えばどれぐらいで仕事としてできるようになるの?ってよく訊かれることもあるけど、、。それは自分次第でしょって。そういう子にはできないよって云ってあげるんだけど、、。
靴を習う若者も何百人といるけども、実際にモノになるのは1人か2人いればいい方だと思うんですよね。靴を作れるだけでは売れないし、その靴自体が欲しいと思ってもらわないと、、。そうするとデザインもセンスがないとダメだし。センスだけでもクオリティーがないとダメだし。

(N)そのあたりのリアルさを持って仕事しないと、、。厳しい話ですが、自分でモノを作ってそれを売る、ということはいかに大変な事であるか分かっていない人も多いですよね。さて、時間もそろそろ押してきましたが、、。岡野さんが、靴を作ることを仕事にしていて、一番うれしかったことは何でしょうか?

(O)やはり、靴が売れた時は嬉しいんですけど、、。けど、お客様がかなりボロボロになるまで靴を履いてくれるのが一番嬉しいですね。ヨレヨレなんだけど、毎日履いちゃうとか、この靴じゃないと旅行に行きたくない、なんて云ってもらうと、、。そういう時に、色々な面で間違っていなかったと思えて、、。そういう時はホント嬉しいですね。

(N)最後に、これだけは伝えておきたいと思うことは、ありますか。

(O)自分の靴作りに関して、という話でいくと、やっぱり、、履ける靴ではなくて、歩ける靴をできるだけ多くの人に作ってさしあげたい、ということかなあ。これから靴作りを学ぶとかやりたいという方に対してはホントに長い目で見てやっていかないと、できない仕事なので、基本的に好きでないとダメだと思う。もちろん靴も好きだし、作る事も好きだし、お客様と接することも好きだし、そういう色々な面が揃っていないと。ホントに、靴をデザインして仕事として成り立つようにやっていくという事は大変だから、、。あと、もっともっと創造(想像)する、ということをやってほしい。学校で勉強ができたとしてもそれは創造ではないから、、。教科書に答えがあるものに近づけていく、ということが勉強だけどやっぱり、モノ作りというのは答えがないものを自分で探さないといけないと思うので、、。自分で好きなことを創造していくのは、考えることが、やっぱり、とても大事。そうすれば色々なことが楽しくなると思う。自分で創造していくことで、何かが変わるので、、きっと。
(対談:2013.06.03   インタビュアー:メルシーズ 中田)